キャンプに行ってきました

7月14日~16日の三連休に二泊三日でキャンプに行ってきました!

金曜日に天気予報を見てたら、三連休初日の土曜日の予想最高気温が35度。

土曜日は息子のサッカーがあるんですが、これはサッカーやってたらあぶないぞ!ということで、前日に思い立ち(妻が!)涼しい場所で過ごすこととしました。

我が家では、毎年5回以上はキャンプにいっています。なのである程度何を準備は慣れている方です。前日に準備をし、キャンプ当日は朝早く(5時くらい)に出発するのが通例です。しかし、今回は前日夜に思い立ったのもあり、出発当日に準備しました。

さすがに出発時刻は10時くらいになってしまいました。

いつもならキャンプサイトを予約して行くのですが、今回は予約なしでいけるキャンプ場にしました。ナビの到着予定時刻は14時前、テントを張るスペースが残っているか心配でしたので、12時過ぎに混雑状況をキャンプ場に確認すると「かなり混雑していて、隙間を見つけてテントを張るようだね」と言われました。

予約をしないため、区画等ははっきりしていないようで、空いているところを確保する方式のようです。

私たち夫婦は混んでいる中、場所を取るのが苦手です。

フードコードでも席をとれずうろうろすることが多いです。

そんな私たちが場所をとれるか不安でしたが、なんとか空いている場所をみつけました。しかし、場所はあいているのですが、そこに入る手前の場所で他の家族が荷物を広げていました。そこに荷物を広げて、くつろいでいた奥様に「そこの奥の場所つかいたいのですが、車を通すために荷物をどけてくれませんか?」と聞いたところ、旦那に聞かないとわからないとのこと。車を通す時だけ、荷物どかしてっていってるだけのだけど。しかも自分らが荷物広げているとこ通路だし。

え~っとそうか、そうか、奥さんはキャンプ初心者で道具を動かしていいのかわからないのかなと自分を納得させることに。

旦那さまがいつ帰ってくるかわからないので車を手前にとめ、離れた場所から荷物を運ぶことにしました。一通り荷物を下ろしたとこに旦那様が戻ってきました。

もう荷物運び終わったし、万が一車を動かす時にまた荷物をどかしてもらうのも面倒だなということで自分のキャンプサイトに車を止めるのを断念。

1泊で帰るっていうしまあいいかと。

しばらくして、キャンプ場の方が見回りにきました。

そこで隣の家族にここに荷物を置いたら、となりのひと(私たち)がかわいそうでしょ!荷物をどけてあげてと言われてました。それに対して隣のご主人は、いや、いいっていうんで・・・・とお答え。キャンプ場の方が自分たちにも事情を聞きにきてくれましたが、どかしてもらうのも面倒になってしまい「大丈夫です。」といいました。

なんかあったら言ってねとキャンプ場の人からは言ってもらいましたが、となりの家族がいなくなった二日目に車を移動しました。

 

 

 

行ってきたキャンプ場はここ

西丹沢 大滝キャンプ場

ootakicampsite.com/index.html

キャンプ場内には川が流れており、川の周辺にテントサイトがあります。

子供を遊ばせるにはもってこいの場所です。

また近くにぶなの湯という温泉もありキャンプの途中、帰りによるにはもってこいです。そしてそのぶなの湯近くの川には天然のスライダーがあったり、飛び込むのにちょうど良い場所があったりとこれまた子供が遊ぶにもっていこいの場所があります。

シーズン中は人が多いですがお勧めの場所です。

ベイブの感想

「ベイブ」って映画ご覧になったことありますでしょうか?

 

ひょんなことから羊飼いのおじいさんに拾われた一匹の子豚ベイブ。

色々なトラブルに巻き込まれながらも、牧羊犬になる夢を持ち続けるベイブ。

最後には、豚ながら牧羊犬のコンテストにおじいさんと参加し、みごと優勝。

夢はあきらめなければ必ずかなう。それが豚であっても。。。豚は食べられるだけの動物ではない。自分の意志と努力で運命は変えられる!

そう、とてもいいお話です。ところどころ笑いもあり、子供も大喜びでした。

でも少し待ってください。いい話でよかった、よかったで良いのでしょうか?

 

〇誰でもなんにでもなれるのか?

豚なのに、本職の犬よりうまく羊を誘導するベイブ。

運命は生まれながらにして決まっているものではない。

努力しだいでどうとでも何とでもなれる。

もちろん人間にとっても同じ。

でも本当にそうでしょうか?

子供には無限の可能性がある。とよくいいますよね。まあ誰でも無限の可能性があるのは認めます。しかし、努力すれば何にでもなれるって本当でしょうか?努力してもかなわないことって沢山ありますよね?大人になってからはむしろその方が多い。

なりたいものになれなかったら努力がたりないのでしょうか?

必ずしもそうではないと思います。

それに無謀な夢を追うよりは、しっかり自分の適正を理解し生きていくほうが賢明だとおもいます。ベイブのようなサクセスストーリーばかり見るのも、今後子供が生きていく上でよいことなのだろうか?

〇無理というのも優しさ

今の時代子供がこれになりたいと言って否定する親はいないとおもいます。

自分の時代は、おばあちゃんからよく言われました。

僕が医者になりたいといった時、お前になれるわけがないと。まあ、実際なれませんでしたし、医者を目指して猛勉強をしたわけでもありません。

おばあちゃんになれるわけがないと言われてもショックは受けなかったですしこれといって何とも思わなかったです。けど君ならなれる(努力すれば)と言われてたらどうでしょうか?医者になれない自分を受け入れずらくならないでしょうか?

今の時代、なんでも否定しないことが正しいといった風潮があると思います。

でも、無謀、困難な夢を冷静に否定してくれる存在も必要なんじゃないかと思うんです。なんだかみんな優しすぎて逆に息苦しく感じるのです。

無理と言われても目指したければ目指せばよいわけで。。

 

と子供との映画も純粋に楽しめない私でした。

 

 

 

親友とのお金の貸し借りはダメ!ゼッタイダメ!

タイトルが覚せい剤乱用防止みたいですが、心からそう思います。

本日、親友だったAの会社が発行した小切手が不渡りとなって戻ってきました。

総額100万円ちょい。なぜ一介のパート主夫がそんな小切手をもっているのか?

それをこれから書いていきたいと思います。

もう5年以上まえの話です。

 

〇親友A君の話

Aとは、大学時代に出会った唯一親友と呼べる男でした。大学時代、卒業してからも毎週末はよく二人で飲みにいきました。

あまりにも頻繁に会うのでお互いの彼女から嫉妬されるほどでした。

そんなAは、大学卒業後すぐに起業しました。

当初は厳しい経営状態でしたが、1年もすると軌道にのり羽振りもよくなっていきました。もともと派手な遊び方のA。その派手さがどんどん増して六本木、銀座で飲みにいくようになりました。しかし、いい状態はそう長くは続かず数年後には会社の資金繰りに困り借金が増えていっていたようです。

そんな中、彼からの電話が私にかかってくるのです。

 

〇お金を貸す

Aより、1週間で返すから50万円ほど貸してくれないかとの連絡。

プライドの高いAから頭を下げられよっぽどのことかとAを信用しすぐに振り込みました。当時の自分は結婚して正社員として妻と共働きでした。

だから生活には余裕がありました。しかも独身の時にためたお金も200万円ほどあり、

お金を貸しても生活に困ることはありませんでした。

最初の50万円は約束通りすぐに振り込まれました。

しかし、それから何度か貸してほしいとの連絡があり、金額もどんどん膨らみ総額200万円ほどとなりました。そう、ためていたお金全部。

さすがに不安になる私。それを察してか、Aより総額120万円の小切手が送られてきました。毛筆の謝罪文同封で。なぜ貸した金額に満たない額の小切手なのかわかりませんが、おそらくAも色々な所から借金をし、私からいくら借りているかわからなくなっていたのでしょう。しかし、Aは心得ています。私の気持ちを。親友から毛筆で謝罪文を送られたら信用してしまう私の気持ちを。

そしてその小切手を換金しないまま5年以上が過ぎます。

当時怖かったのです。私が換金して不渡りになり会社が倒産してしまうのが。

そしてある時をもってAの携帯にかけても電話にでなくなりました。

 

〇当時の私の気持ち

当時、会計事務所に勤めていた私。会社の資金繰りに困り知人から借金をする社長よくいました。しかしそのような会社は遅かれ早かれ倒産していました。

そんな会社をよく見ていたのに、やはり自分は違う。Aは違うと冷静に考えることができませんでした。

そして当時の私は会社の資金繰りのアドバイスができる知識、債務整理の知識もありました。

しかし、Aにはお金を貸すだけで会社経営に口出しはしませんでした。

どうしてか?後になって考えると面倒なことに首を突っ込みたくなかったのだと思います。当時結婚し、長女も生まれていました。平凡ながら穏やかな毎日でした。

その生活が壊れてしまう気がして。

お金さえ払えば義理ははたすだろうと。

〇それでよかったのか?

おそらく私からの200万円では、Aの会社の状態からいって焼石に水だったのでしょう。それであれば、もっと自分にできることがあったのではないかと後悔していました。それから現在まで、連絡の取れなくなったAに数か月に一度連絡をしていました。

相変わらず電話にはでませんでしたけど。

もし電話にでたらこういうつもりでした。A、お金のことはもういい。あの時は助けられなくてすまなかったと。。。。

ってどんだけお人よしなんだよってと思いますか?

この話は妻を始め他の友達に一切していません。だから客観的にとらえることができなかったんだと思います。そう、お宅騙されていますよと。

〇騙された自分を認めたくない

親友に裏切らた自分。普通に考えてお金を貸して連絡がつかない。。。トンずらされたってことだと思います。でも力を貸せなかった自分にも非があるということで騙された自分を直視することを避けたのだと思います。

そしていやAは小切手を送ってくれた。全額ではないがこれはあいつの誠意だ。

だからこれを換金すれば騙されたことにはならない。と5年間大事に小切手を引き出しに保管していました。

〇なぜここで換金?

そういことなら、ずっと小切手をもっていればよかったのかもしれません。

でもなんだか疲れたのです。自分を騙すことに。だからここで換金することとしました。もちろん無事換金されれば家計的にも助かるなあと思ってもいました。

結果小切手は不渡り。しかも銀行に小切手一枚につき1000円の手数料合計6,480円を支払いました。手数料がかかると知っていたなら一枚しか換金しなかったのに。。。

結果不渡りとなり、自分の気持ちがスッキリしたか?正直そうでもありません。

ただこれからは、Aに電話をかけることはないでしょう。Aのことは忘れることとします。

〇今回の教訓

・やはり友人間でのお金の貸し借りは友人関係を壊します。いや、お金の貸し借りの話が出た時点でもう壊れているのかもしれません。だから勇気をもって断りましょう。

・みじめな自分でも受け入れることが必要だったと思います。親友にお金を貸して逃げられた自分を受け入れることができず数年間過ごしてきました。

時には自分を悪者したりして、でも結局自分を守っていたのだとおもいます。

その意識がなくともその後の人間関係を築く上でいい影響はなかったのだと思います。

まず事実を受け止め、そうしないと新たな一歩が踏み出せないのではないか?と思います。

・小切手が不渡りとなると銀行に手数料を払わなければならない。これは正直いたかったです。

 

今回こんな形で親友を失った私。これから親友と呼べる友人ができるといいなあと思う今日この頃です。

 

 

 

 

 

グループワークでの戦い方

前回のブログでは、グループワークが大嫌いという話をしました。

何が嫌いなのか?と考えてみるとグループワークでの発言ができないためです。

なぜ発言できないと嫌なのか?

みんなの議論に貢献できないから?

自分の学びに貢献できないから?

いや、単に発言できない自分がカッコ悪いからです。

正確に言うとカッコ悪いと思われているんじゃないかと思っているのです。

発言できないのも変なことを言ってカッコ悪いと思われたくないからです。

要は、他人の目が気になりすぎて固まってしまっているのですね。

なぜそのような考えに至ってしまったのかは、思い当たるふしがありますが今回はその話は置いときます。

そんな中でも、今回のグループワークはいつもよりは充実した気持ちが得られる出来になりました。それはいつもと作戦を変えてみたためです。

その作戦を振り返りたいと思います。

どっちがカッコ悪いか?

黙っていて批判的な目にさらされる

見当はずれな意見を言って批判的な目にさらされる

2択でどっちといわれたらどっちでしょうか?

今までの自分なら前者でした。昔は沈黙は金と言われ育ってきた僕。

そもそも発言することがかっこいいとも思っていなかったです。

学生時代はそれでよかったのだと思います。授業で発言しなくともテストでいい点をとっていれば何の問題もなかったです。むしろあいつ、いつも黙っているのに実は頭いいんじゃね?と思われる等いいことの方が多いように思います。

しかし社会人になったらそうはいきません。黙っていていいことは一つもないのじゃないでしょうか?

だから、後者を選ぶこととしました。ある程度話をきいていればそう見当外れのことも言わないはずですし。

まず発言

グループワークが始まったばかりの時間帯は、みんな様子見でなかなか発言しない状態がしばらく続きます。そんな中俺はこう思うと取り合ず発言するのです。

見当はずれの意見でも何でもいいのです。とりあえず声を発するのです。

むしろ検討外れの意見の方がいいのじゃないかとも思います。

それによりグループの意見が出始めるという貢献にもなります。

また、自分は発言をする人間だということを自他に宣言することになると思います。

しばらく発言しないままにしてしまうと自分の中に発言しないキャラを作ってしまうんですよね。だから自分は発言するキャラだということを自分に宣言する。そうすればスイッチが入るような気がします。

 

見当はずれって?

そもそも検討はずれってあるんでしょうか?変な意見ってあるのでしょうか?

また、変だと思われてるかどうかってわかるんでしょうか?

思われたらどうだというのでしょうか?

一度発言したらそんなことどうでもいいことように思えてきます。

 

作戦を変えた結果の副作用

その後も意見を言えたように思えます。意見を言えるキャラを演じ続けたというべきか。そんな中で新たな気持ちを感じてしまいました。それは人の意見を聞くのが嫌になってしまうことです。発言をしない時は、人の意見は間を埋めてくれる存在なのでありがたいと感じていました。しかし、自分が発言するようになると人の意見が煩わしくなる・・・・なんとも自分勝手。結局発言しないというのも自分勝手なんですよね。

形を変えても自分勝手。発言することに慣れてくればもう少し周りをみれるようになれかもしれません。それまでこの作戦を継続してみます。

 

グループワークは大嫌い

こんばんは。昨日から仕事の関係の研修を受けています。

昨日は私の大好きな座学でした。

座学っていいですよね。なんか安心できる。基本的に受け身でいいから。

といっても聞いてないわけではありません。ちゃんと大事ととこに線を引いたりメモしたりと割と真面目に受けています。

座学でも時に受講者に意見を求めてたりするやつもあるじゃないですか?

あれはイヤです。だって人前で話すの恥ずかしんだもん。

それと頭が真っ白になってしまうんですよね。

昨日の講義はそういうタイプではなく落ち着いて受けることができました。

でも今日の講義は違いました。午後から私の大嫌いなグループワークがありました。

私は、昨年に20年近く働いていた仕事を辞め、一年間ある専門学校に通学していました。前職では、基本的に事務仕事でしたので自分の考えを言う機会はありませんでした。お客さんと話すとしても法令や規則とおりに出来ているかという話でした。つまり憶えた知識を話せばいいだけ。そこに自分の考え等入れる必要もなかった、逆に入れてはいけない仕事でした。今考えるとそれが心地良かったので新卒からずっとその仕事をつづけてきたのだと思います。でも働いている時は、その良さに気づくことはなく、逆にこれからのAIの時代←(漠然としていますが)こんな仕事はなくなる。もっとコンピューターにはできない仕事をしなければと思ってしまい、今の福祉関係の仕事につきました。入ったばかりというのもありますが、多くの研修に参加しています。

そこで行われるグループワーク。この業界だからですかね?必ずやるんですけど。

なぜグループワークが嫌いなのか考えてみました。

知らない人と話さなければいけない

いきなり子供みたいなことをいってしまいましたが、これでも40歳2児の父です。

知らない人といっても一対一ならばまだなんとかなるんですよ。それが5人も6人もって・・・

どこで口を挟めばいいかわかんないし・・だからだいたい進行役の人に意見求められちゃうんですよ。ずっと愛想笑いしているだけだから。そしてなんだか的外れの事を言うみたいな。

発表をする

だいたいグループで話したことを発表するじゃないですか?本当憂鬱です。

グループの中で一人なので発表しなければと思うかもしれませんが、進行や発表の役割決めってたいてい最初に決めると思うんですよ。まだあまり意見が言えないやつってばれてないっていうのとなんだか頼みやすいんですかね、発表する人を決める時なぜかこちらを見たり勧められたするんですよね。そうすると気が弱い+見えっ張りな私なので

じゃあやります。といってしまうんですよね。そして発表はしどろもどろというのがいつものパターンです。

 

いつか慣れるですかね。こういうのって。帰りの電車で探しちゃいましたよ、話し方教室を・・

明日もグループワークだ・・・

 

 

初めまして!

始めまして!40歳既婚者です!

おっと出会い系サイトのファーストメールみたいになってしまいました。

本日より、はてなブログにてブログをはじめました。

以前はアメブロにてブログを書いていましたが、仕事関連の記事が多かったので個人を特定されないかという心配があって、本当の気持ちを書くことができなくなってしまいました。といってもアクセス数大したことはありませんでしたが。。。

でも誰がみてるかわからないじゃないですか?ブログって。だからここでは完全な匿名で日々の日常で感じた気持ちを赤裸々に書いていきたいと思っています。