グループワークでの戦い方

前回のブログでは、グループワークが大嫌いという話をしました。

何が嫌いなのか?と考えてみるとグループワークでの発言ができないためです。

なぜ発言できないと嫌なのか?

みんなの議論に貢献できないから?

自分の学びに貢献できないから?

いや、単に発言できない自分がカッコ悪いからです。

正確に言うとカッコ悪いと思われているんじゃないかと思っているのです。

発言できないのも変なことを言ってカッコ悪いと思われたくないからです。

要は、他人の目が気になりすぎて固まってしまっているのですね。

なぜそのような考えに至ってしまったのかは、思い当たるふしがありますが今回はその話は置いときます。

そんな中でも、今回のグループワークはいつもよりは充実した気持ちが得られる出来になりました。それはいつもと作戦を変えてみたためです。

その作戦を振り返りたいと思います。

どっちがカッコ悪いか?

黙っていて批判的な目にさらされる

見当はずれな意見を言って批判的な目にさらされる

2択でどっちといわれたらどっちでしょうか?

今までの自分なら前者でした。昔は沈黙は金と言われ育ってきた僕。

そもそも発言することがかっこいいとも思っていなかったです。

学生時代はそれでよかったのだと思います。授業で発言しなくともテストでいい点をとっていれば何の問題もなかったです。むしろあいつ、いつも黙っているのに実は頭いいんじゃね?と思われる等いいことの方が多いように思います。

しかし社会人になったらそうはいきません。黙っていていいことは一つもないのじゃないでしょうか?

だから、後者を選ぶこととしました。ある程度話をきいていればそう見当外れのことも言わないはずですし。

まず発言

グループワークが始まったばかりの時間帯は、みんな様子見でなかなか発言しない状態がしばらく続きます。そんな中俺はこう思うと取り合ず発言するのです。

見当はずれの意見でも何でもいいのです。とりあえず声を発するのです。

むしろ検討外れの意見の方がいいのじゃないかとも思います。

それによりグループの意見が出始めるという貢献にもなります。

また、自分は発言をする人間だということを自他に宣言することになると思います。

しばらく発言しないままにしてしまうと自分の中に発言しないキャラを作ってしまうんですよね。だから自分は発言するキャラだということを自分に宣言する。そうすればスイッチが入るような気がします。

 

見当はずれって?

そもそも検討はずれってあるんでしょうか?変な意見ってあるのでしょうか?

また、変だと思われてるかどうかってわかるんでしょうか?

思われたらどうだというのでしょうか?

一度発言したらそんなことどうでもいいことように思えてきます。

 

作戦を変えた結果の副作用

その後も意見を言えたように思えます。意見を言えるキャラを演じ続けたというべきか。そんな中で新たな気持ちを感じてしまいました。それは人の意見を聞くのが嫌になってしまうことです。発言をしない時は、人の意見は間を埋めてくれる存在なのでありがたいと感じていました。しかし、自分が発言するようになると人の意見が煩わしくなる・・・・なんとも自分勝手。結局発言しないというのも自分勝手なんですよね。

形を変えても自分勝手。発言することに慣れてくればもう少し周りをみれるようになれかもしれません。それまでこの作戦を継続してみます。